「カネミ油症事件」日本最大規模の食品公害!「黒い赤ちゃん」が産まれ、今も後遺症に苦しむ人々が多数!未認定患者も多く、いまだ全貌も掴めず!

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(コラム35回)

こんにちは、ゆるねとにゅーす管理人です。

今回は、発生当時に国際的にも大きな関心を集めた、日本の歴史上「最大規模の食品公害事件」といわれる「カネミ油症事件」について紹介していこうかと思うよ。

「カネミ油症事件」??
私も学校で色々な公害事件について勉強した記憶があるけど、「カネミ油症事件」っていうのは、あんまり聞いたことがないわ…

確かに、現在では多くの人々の記憶から消えかかっている事件といえるかもしれない。

しかし、今(2018年)から50年前に発生したものの、今でも多くの人々が後遺症に苦しんでいる上に、現在でも政府が被害者の健康状態の検査や実態調査を続けている上で、是非とも多くの人が詳しく知っておきたい歴史的な公害事件なのは確かだ。

ええっ?50年も前に発生したのに、今でも多くの人々が後遺症に苦しめられているんですかぁ!?
それなのに、私も今初めて知りましたですぅ…!

そうだね。恐らく、年配の人々も記憶から消えかかっている上に、若い人達はほとんどが知らないんじゃないかな…。

…というわけで、今回は、後世にもしっかりと語り継いでいくべき「カネミ油症事件」について、色々と紹介していこうと思うよ。

カネミ製の「ダーク油」を添加した飼料を食べた鶏40万羽が謎の大量死→同社製「ライスオイル」を使用した人々の間で「謎の湿疹・色素沈着・手足のしびれ」などが発生!

カネミ油症事件は、1968年(昭和43年)春、カネミ倉庫(福岡県北九州市)製の「ダーク油」を添加した配合飼料を食べた鶏40万羽が「謎の大量死」に見舞われたことが後の大規模公害への発端となった。
そして、鶏の大量死とほぼ同時期に、今度は西日本一帯において、原因不明の湿疹や顔面の色素沈着、頭痛、手足のしびれなどの「謎の奇病」を訴える人々が続出し始めることに。

同じ食べ物を食べている家族が同時的に症状が発生する事例があったことから、地域間で大きな不安が広がり、やがて、カネミ倉庫製の「ライスオイル」を使用している人々が共通して体調不良を訴えている実情が見えてくるようになる。

同年10月に福岡市が九州大学とともに調査を開始し、北九州市がカネミ倉庫に立ち入り調査を実施。
長期にわたる調査の結果、製造過程において配管ミスが原因となって、PCB(ポリ塩化ビフェニル)が食用油に混入、これが加熱されてダイオキシンに変化したことで、消費者に深刻な健康被害を発生させていたことが判明。
しかし、その原因究明の過程やその後の経緯を見ても、どうも、国や自治体が本腰を入れて対策や救済を行なった姿勢が見られず、これがさらなる被害者を多く生み出すことに繋がったと言われているよ。

 

「美容や健康に良い」「皇后陛下も使用している」などの噂や謳い文句が広がり、多くの人々が購入するも、これが悲劇を引き起こすことに…

カネミの「ライスオイル」は、当時「美容や健康に良い」「皇后陛下も使用している」などの噂や謳い文句が巷に広がっており、わざわざ多くの人が「健康にいいもの」と信じた上でこれを使用していたという。

それがまさか、人体に大きく有害なダイオキシンが混入しているとは誰もが露ほどにも思わない中、多くの家庭でこの製品が使用されてしまったことが、さらなる多くの悲劇を引き起こすことに繋がってしまったようだ。

なんだか…知れば知るほど、かなり根深く恐ろしい公害事件のように思えてきましたですぅ…!

 

世間を大きく震撼させた「黒い赤ちゃん」

出典:◆神通力御上の日々早々◆

カネミ油症事件を象徴する話として、「黒い赤ちゃん」と呼ばれる、全身が紫色に色素沈着した赤ちゃんが生まれてきたことが大きく挙げられている。
これは、妊婦が有害物質に汚染されたオイルを摂取したことで、胎盤を通して有害物質を取り込んだだけでなく、母乳を与えているうちに皮膚が黒ずんでいったケースもあった(Wikipedia)とのこと。

その衝撃的な赤ちゃんの姿を見た母親はあまりのショックに気を失っては、産まれてからわずか2週間ほどで亡くなったケースも神戸新聞)あり、いかに、有害物質に汚染されたオイルが人々の人体を激しく蝕んでいたのかを物語っている、あまりに痛ましく悲しいエピソードだ。

そ、そんなっ…!!
「黒い赤ちゃん」って…こんなにも衝撃的で痛ましい事件なのに、私なんかほとんど知らなかったし、どうしてこんな大事件がもっと大きく報道されないのよっ!!

産まれてきた「黒い赤ちゃん」を見た瞬間のお母さんのその心境を考えるとぉ…もう、私ももう言葉が出てこないですぅ…。

日本全国で1万4000人もの人々が被害を訴えるも、認定された患者数はたったの1906人(2006年現在)

また、カネミ製のオイルを使用したことで、健康被害を訴える人々がおよそ1万4000人いる中、被害を認定された患者数は2006年現在で1906人と非常に少ないのが現状だ。

被害を訴える人々の中では、子どもや孫にもアレルギーや激しい肌荒れなどの症状を訴えているケースもあり、中には、近年になってから体調不良の原因が当時のカネミ製オイルだったことを疑い始めるようなケースもあるようだ。

事件の性質上、どこまで多くの人々にどれだけの被害が出ているのかの実態を把握するのが非常に難しく、その原因究明にも多くの年月を要したことからも、現状おびただしい数の人々が実質的に泣き寝入りになってしまっている可能性が高いだろう。

下記に神戸新聞と朝日新聞の記事を紹介しておくけど、これを読んでも、いかにこの公害事件が深刻で根深いものだったのかということや、日本の行政が長年抱えてきた「弱者(被害者)軽視」の負の側面についても感じてもらえるかと思うよ。

カネミ油症発覚50年(3)未認定患者、異変になすすべなく

9カ月の早産で生まれてきた赤ちゃんは全身紫色。その姿を見た母親はパニックを起こし、気を失った。赤ちゃんは母乳ものどを通らないまま、わずか2週間の人生を終えた。

それから50年。女性は78歳になり、現在、大阪市に住む。赤ちゃんの異変は、妊娠中に口にしたカネミ倉庫(北九州市)製の米ぬか油「ライスオイル」が原因だと思う。だが女性自身は血液中のポリ塩化ビフェニール(PCB)やダイオキシン類の濃度が一般人と差がないとされ、患者として認定されていない。「あの油を食べてから天地がひっくり返った」。そう言わずにはいられない半生だった。

~省略~

さまざまな食料品は米屋が配達に来ていた。ライスオイルは、付き合いで買った商品の一つ。体に良いと言われ、天ぷらや野菜炒めなど日常的によく使った。食卓で使い始めて2、3カ月たった1968年夏の終わり、女性は体中のかゆみと赤い湿疹ができ、頻繁にめまいに襲われるようになった。

子どもたちにも皮膚症状が現れ、特に急激な不調に見舞われたのは2歳の次女だった。小児ぜんそくになり、引きつけを起こして月に数回、救急車で運ばれた。成人までは血中の蛋白(たんぱく)が減るネフローゼ症候群のため、1年の3分の2を病院で過ごし、20歳で卵巣がんを患った。

夫は体調を崩しがちになり、建築現場で指示だけ出し、家で休むことが増えた。2、3年後に腹膜炎で倒れてからは仕事ができず、多額の医療費負担も重なり、家族は生活保護に頼らざるを得なくなった。

「1日を生きるのが必死。油を食べてから何かがおかしくなった」。そんな思いを抱えたまま月日が流れた。

10年ほど前、カネミ油症について報じる新聞を見て、長年の疑念が確信に変わった。行政に相談に行ったが、まともに取り合ってもらえない。押しかけるようにして行った油症検診の会場で油症被害者関西連絡会の渡部道子さん(62)=兵庫県姫路市=と出会い、ようやく自分が「未認定患者」という立場であることがはっきりした。

長男は、大人になっても「象のようなガサガサの肌」に悩まされ、薬が手放せない。人前に出るのを嫌い、結婚も諦めた。長女は子どもに恵まれなかった。全てが油症のせいかどうかは分からない。だが悔しさばかりが募る。

【神戸新聞 2018.7.28.】

私はカネミ油症だったの? 発生50年、被害気づく人も

都内の女性(60)は2012年、カネミ油症を取り上げた新聞記事を偶然手に取り、がくぜんとした。自分の長年にわたる多くの症状がすべて、油症の特徴にあてはまった。「私はカネミ油症だったの?」

油症は1968年3月ごろから西日本の各地で多く現れてきた。症状は一様でなく、黒い吹き出物、爪の変色、手足のしびれ、全身の倦怠(けんたい)感、内臓疾患など「病気のデパート」と呼ばれるほど多岐にわたる。

被害が広く報じられた68年10月から約1年で、保健所に被害を届けたのは1万4千人を超え、近畿、中国地方、四国、九州のほぼ全県にわたった。だが、汚染された油の流通経路や購入先の調査は徹底されず、被害の広がりの実態は今日まで不明なままだ。

女性は西日本の山あいの村で育った。10歳だった68年3月、顔や体の一面に黒い吹き出物が現れた。成人後は体のあちこちに脂肪腫ができ、手足の硬直、倦怠感や抑うつに悩まされた。月経は激しい痛みと大量の出血を伴い、流産と死産を繰り返して子どもはあきらめた。病院では「原因不明」と言われ続けた。

発症当時、家族にも同様の症状が出たが、だれも医師から油症の疑いを指摘されなかった。今となっては自身も家族も、当時食べたのがカネミ油だったのか分からない。

油症との関連を疑い、首都圏の患者らが集まるカネミ油症関東連絡会に相談した。多くの患者と交流のある佐藤礼子さん(79)は「皮膚症状や婦人科疾患など油症に特徴的な多くの症状と発症時期を考え合わせると、女性が油症である可能性は高い」と指摘する。

カネミ油症は、国の全国油症治療研究班などが、皮膚症状やダイオキシン類の血中濃度などの診断基準で「総合的」に患者を認定する。近年は検診で新たに認定される患者はわずかで、昨年度は123人が受診して認定はわずか2人。女性も12年に検診を受けたが、認定されなかった。

それでも、かつての自分のように被害を受けた可能性すら気付かずに苦しむ人が全国にいるのではないか、と考えた。再び連絡会の会合に通い、自分の体験を「私はなんの病気?」という題の紙芝居にした。17日の集会で披露する。「被害者が多く名乗り出れば、認定や救済のあり方が変わるかもしれない」と女性は望みをつなぐ。

【朝日新聞 2018.6.16.】

 

まとめ

こ、こんなに深刻で大変な食品公害が日本で起こっていたなんてぇ…
50年前に発生したにもかかわらず、今でもここまで苦しんでいる人がい続けているなんて、カネミ油症事件は現在進行形で今も続いているんですねぇ…!

それだけに、私たちもこの事件をこれからずっと忘れないようにして、永遠に語り続けていく必要があるわねっ!

1970年には、カネミ倉庫、PCBを製造した鐘淵化学工業(カネカ)、そして国を相手取り被害者が損害賠償を求める訴訟を起こし、約830人が仮払いの賠償金約27億円を受け取ったものの、最高裁では逆転敗訴する可能性が高まったため、被害者側が訴えを取り下げたことで仮払いの賠償金の返還義務が生じた中、返還の目処が立たずに一部の被害者が自殺するという悲劇も起こったという。(Wikipedia

全体的な行政や司法の対応を見ても、どうも企業側を保護するような動きが目立っている上に、現在でもカネミ倉庫では自社のオイルを販売しており、数多くの被害者は十分な救済がされていないどころか、実質的に泣き寝入りになってしまっているとも言えるだろう。

50年経った今でも正確な被害実態や真相が分かっていない部分も多い、この日本史上最大級の食品公害について、これからも人々の記憶から失わないように深く考え続けていく必要があるんじゃないかな。

参考情報:

平成27年度 カネミ油症健康実態調査の結果

駆け歩きレポート(36) カネミ油症は終わっていない 40年間も苦しむ被害者 長崎・五島で聞きとり

愛知県衛生研究所 PCB(ポリ塩化ビフェニル)

カネミ油症事件は終わっていない ー真の被害者救済につづく道ー

Wikipedia(カネミ油症事件)

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