大正から昭和、平成と激動の時代を生き抜いた人生、政治家・軍人・皇族として日本の裏側を知る貴重な人物
出典:ウィキペディア
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平和願い率直な発言 三笠宮さま逝去
幼いころは「童謡の宮さま」、戦後は「古代オリエント史の宮さま」として国民に親しまれた三笠宮崇仁(たかひと)さまが27日、亡くなられた。学問だけでなく、ダンスにも興じられる幅広い趣味人、教養人だった。一方で、陸軍参謀として体験した先の大戦の意味を真摯に問い続け、平和や文化、学術の大切さを率直な言葉で説かれた。
2016年10月27日、昭和天皇の弟で、今上天皇の叔父に当たる三笠宮さまが逝去した。
100歳という大往生だったけど、その人生は実に波乱万丈ものだった。
そして、皇族という立場でありながら、政治家、さらには陸軍の軍人も経験し、実際に第2次世界大戦を戦った経験を持っていた上で、非常に稀有で貴重な体験を持った人物だった。
以下、そんな三笠宮さまが歩んだ歴史を辿りながら、その中から発せられた、彼の反戦に対する忌憚のない言葉の数々を紹介しようと思う。
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大正4年に大正天皇の第4子として誕生、貴族院の議員から陸軍の軍人へ
三笠宮さまは、大正4年に大正天皇と貞明皇后との間の第4子として誕生。
学習院の初等科・中等科を卒業後、陸軍士官学校や陸軍大学校など、軍関連の学校に就学。
卒業後は貴族院の議員として11年間働くことに。
太平洋戦争が開戦すると、コードネーム「若杉」として、中国・南京の支那派遣軍総司令部に配属・勤務することになる。
正体を隠して勤務していたために、彼が皇族の三笠宮であることを知らなかった同僚も多かったようだ。
南京での派遣勤務の際には、中国との戦闘が泥沼化していることを憂慮し、総司令官に作戦について進言をしたこともあったという。
また、南京から帰国した後は、混迷を深める戦争を何とか終わらせるために、当時の東條内閣打倒のためのクーデターを仲間とともに計画。
ところが、同僚の津野田知重陸軍少佐の企てた内容が、東條暗殺を含めた過激なものだったために、これを自重。この計画を自ら憲兵隊に通報したというエピソードも残っている。
戦後は歴史学者として「神武天皇実在説」を否定、反戦に向けてのメッセージも多く発信
戦争の終結とともに、再び皇族として新たな人生を送り始めた彼は、歴史学者として日本史や世界史、考古学などを研究。
中でも、現在では想像上の人物として一般的に認知されている神武天皇については、彼の研究成果によるものが大きく、また、彼が神武天皇の存在を否定したことで、当時の右翼思想家から強い批判を浴び、「左翼」「非常識」「赤い宮様」などと徹底的に攻撃を受けたという。
(ネットを見回してみたところ、現在でも彼を痛烈に批判している勢力は一定数存在しているようだ。)
その後も、日本軍による中国戦や南京虐殺についても下のような言葉を残しており、度々右派の論客を激怒させる言葉を一切臆せずに発し続けていたのが印象的だ。
■南京虐殺への言及
南京で見聞きした日本軍の行状についても、56年に上梓された『帝王と墓と民衆』(光文社)に付された『わが思い出の記』にてこう嘆かれている。
〈罪もない中国の人民にたいして犯したいまわしい暴虐の数かずは、いまさらここにあげるまでもない。かかる事変当初の一部の将兵の残虐行為は、中国人の対日敵愾心をいやがうえにもあおりたて、およそ聖戦とはおもいもつかない結果を招いてしまった〉
〈聖戦という大義名分が、事実とはおよそかけはなれたものであったこと、そして内実が正義の戦いでなかったからこそ、いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないか〉
いわゆる「南京虐殺」についても、
〈最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係はありません〉(「THIS IS 読売」94年8月号)
と、言及される。
「赤い宮様」などと批判され続けながらも、自身の戦争体験に基づいた信念を貫いた三笠宮さまの印象的な「言葉」
恐らく、当時の大日本帝国の軍部を徹底的に批判し続けた三笠宮さまの言葉の数々は、自身が体験した悲惨な戦争体験と、軍人として、積極的に戦争に関わった側から見えた「視点」から、自然と漏れ出たものなのではなかったのだろうか。
最後に、三笠宮さまが発した言葉の中で、最も印象的だったものを紹介しようかと思う。
今のこの時代だからこそ、余計に「深い意味合い」があるように思えてくる言葉だね。
「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵られた世の中を、私は経験してきた。……過去のことだと安心してはおれない。……紀元節復活論のごときは、その氷山の一角にすぎぬのではあるまいか」
1959年刊 「日本のあけぼの-建国と紀元をめぐって-」
まとめ
本当に最後の三笠宮さまの言葉、今だからこそ、ずしんと重たいものがありますね…。
「紀元節復活論」など、天皇制復活が声高に叫ばれていた当時に、こういう発言をされるのはかなり勇気が要ったかと思います。
やはり、改めてこうした言葉の数々を見てみても、彼のような、一方向に世界が向かっていくのをストップさせるような存在は絶対に必要であることがよく分かるよ。
一部の人々から徹底的に罵られようと、一切その信念を曲げようとしなかった彼の芯の強さに、敬意を表したいと思う。
まさに天寿を全うし、激動の人生を送った三笠宮さまだけど、心よりご冥福をお祈りしたいと思うよ。
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