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【最凶の売国政府】東京大空襲など日本国民の大量殺戮作戦を指揮したカーチス・ルメイへの叙勲取り消しを市民団体が要請!→日本政府は全く取り合わず!ルメイ「当時日本人を殺すことに大して悩みはしなかった」

【最凶の売国政府】東京大空襲など日本国民の大量殺戮作戦を指揮したカーチス・ルメイへの叙勲取り消しを市民団体が要請!→日本政府は全く取り合わず!ルメイ「当時日本人を殺すことに大して悩みはしなかった」

どんなにゅーす?

・東京大空襲など日本国民の大量殺戮作戦を指揮したカーチス・ルメイに勲章を授与した日本政府に対し、市民団体が叙勲の取り消しを要請した。

・ルメイについて「当時日本人を殺すことについて大して悩みはしなかった。」「我々は東京を焼いたとき、たくさんの女・子供を殺していることを知っていた。やらなければならなかったのだ。我々の所業の道徳性について憂慮することは(中略)ふざけるな」などの言葉が遺されている中、担当職員は「功績調書に、航空自衛隊の功績以外の記録は残っていない。功績を覆す事案がない限り、新たに議論することはない」などと切り捨てたとのことで、ネット上では怒りの声が噴出している。

日本空襲を指揮した米軍司令官への叙勲 市民が取り消しを要請

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ルメイ氏は戦時中、日本に対する爆撃機部隊の司令官として、日本国内各地への空襲を指揮。東京大空襲については回想録で「近代航空戦史上で画期的なできごと」と自賛した。日本政府は戦後、航空自衛隊発展の功績で1964年に勲一等旭日大綬章を授章した。

これについて、沖縄戦戦没者の遺骨収集を続ける市民団体「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さんらは10日に国会内で、勲章の法令を担当する内閣府賞勲局職員と面会。ルメイ氏について「東京大空襲で一晩に10万人以上の市民が焼き殺された事実への悔恨の念などなく、次々と全国の都市の市民を殺戮(さつりく)する無差別爆撃を進めた」と非難。叙勲は「ルメイ氏による日本人の大量殺戮を日本政府が看過したということ」だとして、取り消しを求めた。

担当職員は「功績調書に、航空自衛隊の功績以外の記録は残っていない。功績を覆す事案がない限り、新たに議論することはない」と述べた。

【朝日新聞 2025.3.10.】

カーチス・ルメイ

カーチス・エマーソン・ルメイ(英語: Curtis Emerson LeMay、カーティス・ルメイ[1]またはカーチス・E・ルメイ[2]、1906年11月15日 – 1990年10月1日)は、アメリカ合衆国の陸軍軍人、空軍軍人。最終階級は空軍大将。第二次世界大戦中は第20空軍隷下の第21爆撃集団司令官に赴任し、東京大空襲を指揮。

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3月10日に東京大空襲を指揮し、ルメイの独創性は進入高度の変更にあった。従来は高度8500メートルから9500メートルの昼間爆撃を行っていたが、高度1500メートルから3000メートルに変更した。

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戦後のルメイは「我々は東京を焼いたとき、たくさんの女・子供を殺していることを知っていた。やらなければならなかったのだ。我々の所業の道徳性について憂慮することは(中略)ふざけるな」と語った[17]。

焦土作戦は東京・大阪・名古屋などの大都市を焼き払った後は、富山市・郡山市などの地方の中小都市も対象となった[注 2]。これらの空襲は日本国民を震え上がらせ、日本側から「鬼畜ルメイ」「皆殺しのルメイ」と渾名された[注 4]。

戦後のルメイは日本爆撃に道徳的な考慮は影響したかと質問され、「当時日本人を殺すことについて大して悩みはしなかった。私が頭を悩ませていたのは戦争を終わらせることだった」「もし戦争に敗れていたら私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸運なことに我々は勝者になった」「答えは“イエス”だ。軍人は誰でも自分の行為の道徳的側面を多少は考えるものだ。だが、戦争は全て道徳に反するものなのだ」と答えた[19]。また自著で「焼夷弾空襲での民間人の死傷者を思うと、私は幸せな気分にはなれなかったが、とりわけ心配していた訳でも無かった。私の決心を何ら鈍らせなかったのは、フィリピンなどで捕虜になったアメリカ人―民間人と軍人の両方―を、日本人がどんなふうに扱ったのか知っていたからだ[20]」と述べている。

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同年12月7日には日本に返還されたばかりの入間基地(旧ジョンソン基地)で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された[注 5]。理由は日本の航空自衛隊育成に協力があったためである[27]。12月4日の第1次佐藤内閣の閣議で決定された[28]。叙勲は浦がルメイを航空自衛隊創立10周年式典に招待したことを発端とした防衛庁の調査・審査に基づく国際慣例による佐藤内閣の決定であることが明かされている[29]。推薦は小泉純也防衛庁長官と椎名悦三郎外務大臣の連名で行われ[30]、防衛庁から佐藤栄作首相・賞勲局へ叙勲が適当であるという説明があった[31]。勲一等旭日章という種類の選定は大将という階級から慣例に基づいたものである[32]。

後年に『NHK特集 東京大空襲』(1978年3月9日 初回放送)でのNHKの取材で戦争責任についての問いにルメイはその勲章を見せた。

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【Wikipedia】

出典:X(@GrwaNnKqMn5nG68)

大量の日本国民を殺戮した悪魔、カーチス・ルメイへの叙勲取り消しを市民団体が要請するも、日本政府は全く取り合わず!→当時ルメイへの勲章を強く推進したのが、小泉進次郎氏のおじいさん小泉純也防衛庁長官!

出典:Wikipedia

戦時中に東京大空襲などを指揮して大量の日本国民を殺戮したカーチス・ルメイへの叙勲取り消しを市民団体が要請したものの、日本政府は全く取り合わなかったみたいねっ!!
まさしく、最悪の売国政府ですし、そもそも、こんな筋金入りの日本国民の敵に勲章を与えること自体が根底から狂ってるわっ!!

担当職員は「功績調書に、航空自衛隊の功績以外の記録は残っていない。功績を覆す事案がない限り、新たに議論することはない」などと切り捨てたとのことだけど、Wikipediaをみても、「当時日本人を殺すことについて大して悩みはしなかった。」「我々は東京を焼いたとき、たくさんの女・子供を殺していることを知っていた。やらなければならなかったのだ。我々の所業の道徳性について憂慮することは(中略)ふざけるな」などなど、(様々な文献や資料を引用しながら)ここまでたくさんの具体的な証言が載っているではないか。
おまけに、自身の回想録でも「近代航空戦史上で画期的なできごと」と自画自賛しているというし、要するに、戦後の日本政府は、日本国民を平気で大量殺戮する連中にひたすらひれ伏し、彼らに言われるがままに様々な日本国民殺し政策をせっせと続けてきたということだ。

しかも、この男への勲章授与を強く推進したのが、あの小泉純一郎元総理の父で進次郎氏のおじいさんである小泉純也防衛庁長官だったというじゃないのよっ!!
さすがは(麻生一族や安倍一族と肩を並べるほどの)呪われた売国一族だわっ!!

小泉純也の父・小泉又二郎は「小泉組」というヤクザ組織を作ったことが知られているし、小泉一族そのもののルーツが朝鮮であることがいわれてきた。
要するに、グローバル支配層は、もとより「日本に対して恨みや憎しみを持っている勢力」に政治権力を与え、彼らに様々な特権を与える代わりに日本国民をいたぶり搾取する売国政治をやらせてきたというわけだ。

小泉純一郎の出自。父は朝鮮部落出身で母はヤクザの娘

■【小説】小泉構造汚職⑧後編
小泉純一郎は『日韓ハーフ』

引用元:http://fushimi.hatenablog.com/entry/2016/09/07/003823

彼は、あっさりと、小泉純也朝鮮人説を肯定した。
いささか、拍子抜けした。

伏「有難う。疑問が氷解したよ。」

東「なに、地元では公然の秘密さ(笑)小泉が総理になってからは、タブー化しつつあるけどね。」

伏「と言うことは、純也は在日朝鮮人なの?」

東「いわゆる、「在日朝鮮人」とは違う。公式記録によると小泉純也は1904年生まれだ。丁度日露戦争が勃発した年だよ。

「在日朝鮮人」とは、1910年の日韓併合後、大日本帝国の臣民となり、日本本土に移住してきた半島出身者で、1945年の日本敗戦で、大日本帝国が消滅した時に、日本国籍を失った人たちだよ。」

伏「よくわかりにくいけど、もっと詳しく説明してくれないか。」

東「小泉純也・・・ややこしいな、取りあえず朴純也としておこう。朴純也が生まれ育った、鹿児島、加世田の朝鮮人部落と言うのは、日本でも珍しい独特の歴史があるんだ。これは、薩摩藩島津家の公式記録である「島津家文書」にもちゃんと記載されている事実なんだけれども・・・」

伏「どういうこと?」

東「発祥は、豊臣秀吉の時代、安土桃山時代に遡るんだ。秀吉の朝鮮征伐の時に、薩摩藩主の島津義弘、朝鮮に出征して、1598年に休戦帰国する時に、多数の朝鮮人捕虜を連行して薩摩に帰国したんだ。

その中には、李氏朝鮮で武士階級だったもの、職人だったもの、単なる荷駄の運搬に使った労務者もいる。連れ帰った捕虜の中には、手に素晴らしい技術を持つ者がいた。彼らが後世に伝えたものが、“薩摩焼き”だ。産物に乏しい薩摩藩は、陶芸技術を持つ朝鮮人は、苗代川と言う所に集めて、集落を作らせ、薩摩焼の生産に専念させた。

薩摩焼は、薩摩藩が藩外に輸出して、貨幣を稼ぐ貴重な生産品だったので、藩は彼らを手厚く保護して、集落内は広範な自治を認めたんだよ。

藩から優遇され、プライドも保たれた彼らは、朝鮮人であることを隠さなかった。収入も良く、生活ぶりも豊かな彼らは、明治維新後は、薩摩士族の株を買って、士族になるものもあらわれた。その有名な例が、東条内閣で外務大臣を務めた東郷茂徳さんだよ。」

伏「ふう~ん、なるほど・・・・」

東「しかし、連行してきた捕虜の中には、手に何も技術を持たない者たちがいた。

帰農させようにも、領内の農地は全部、びっしりと百姓を割り当てている。彼らは加世田に部落を作って住まわせられたが、漁業をやって生計を立てていたようだ。薩摩は大きな漁場があるわけじゃないから一様に生活は苦しかったようだね。」

伏「朴純也の出自は、優遇された朝鮮人陶工たちに比べれば、被差別朝鮮人部落とでも言えばいいのかな?」

東「まあ、厳密に言えば、そうだね。だから、朴純也は在日朝鮮人ではなくて、鹿児島独特の朝鮮部落出身者だと言える。半島のどのあたりかははっきりとはわからないが、自分たちのルーツを堂々と語っている朝鮮人陶工の人達は、全羅北道の南原の出身だと言ってる。従って、朴純也や加世田の朝鮮人部落の人達も同じ地域の出身じゃないかなと推測されるね。」

伏「小泉純也が加世田の朝鮮人部落の出身者であることは間違いないね?」

東「ああ、間違いない(笑)

~省略~

【時事・政治、歴史問題を知っていこう 2016.9.10.】

これこそが、戦後長きにわたって日本の政治を占拠してきた自民党政権の実態と本質ですし、こんなふうに日本国民を大量殺戮しながら悦に入っていた「悪魔」に勲章を与えて賛美する連中が政権の座に居座っている限り、日本国民が真に豊かになることは永久に有り得ないわっ!!

こんな真性的な売国一族の末裔である進次郎氏に「かっこいぃ~!」「スンズロ~く~ん!」などと熱狂している限り、破滅と滅亡しか待ってないし、日本国民みんなでルメイへの叙勲を今すぐ取り消すよう、怒りと抗議の声を上げていくべきだろう。

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