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【驚き】「相模原障害者施設殺傷事件」の植松聖死刑囚が獄中結婚していたことが判明!相手は15歳の時に障害者からレイプされ精神疾患を発症した植松翼さん(26)!

【驚き】「相模原障害者施設殺傷事件」の植松聖死刑囚が獄中結婚していたことが判明!相手は15歳の時に障害者からレイプされ精神疾患を発症した植松翼さん(26)!

どんなにゅーす?

・2016年に発生した「相模原障害者施設殺傷事件」で死刑判決が言い渡された植松聖死刑囚が獄中結婚していたことが判明した。

相手の女性は、15歳の時に障害者からレイプ被害を受け、この経験を機に精神疾患を発症した植松翼さん(26)。彼女自身がAbemaTVに出演し、植松死刑囚と結婚した経緯や思いについて胸の内を明かした。

衝撃!やまゆり園障害者殺傷事件の植松聖死刑囚が獄中結婚! しかも何と相手は障害を持つ女性

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2020年に死刑が確定した植松聖死刑囚は東京拘置所におり、再審請求中だが、死刑確定者ゆえ家族と弁護人以外は接見禁止だ。

その植松死刑囚に驚愕の事態が訪れた。何と「獄中結婚」、しかも相手は障害を持つ女性なのだ。

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『創』では、死刑が確定したとたんに接見禁止となってしまう死刑囚のそういう実態そのものに疑問を呈しており、通常は外部に出ない死刑囚の獄中手記を何度も公表している。

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獄中結婚するくらいの覚悟があるのかと尋ねた
A子さんから最初に電話があったのは7月のことだった。植松氏に何度も差し入れを行い、本人からの礼状も届いているという女性だった。死刑確定者は基本的に家族と弁護人以外は手紙のやりとりも面会もできないのだが、お金の差し入れと、東京拘置所の売店で販売している物の差し入れは可能だ。

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その中でA子さんは、何とかして植松氏に面会することはできないかと、悩んだ末に連絡してきたのだった。

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そもそも津久井やまゆり園職員として植松氏が見聞きし、体験したことが、彼の障害者観の根っこにあるのではないかと、大規模施設の障害者支援の在り方にメスが入り、検証チームが作られたのは、事件からだいぶ経った裁判開始の前後だった。とても深刻で難しい事件だけに、なかなか真相解明は進まなかったのが現実だ。

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だからA子さんから接触があった時には、植松氏に近づきたいという動機が何なのかをまず質問した。あの事件直後に、植松氏の障害者観に共鳴して被害者である障害者を非難するような書き込みをしたり、障害者団体に脅しの電話をかけてきたりした者がいたと言われる。そういう視点から植松氏にアプローチしたいというのであれば、協力することはできないと思った。

そしてもうひとつ、死刑確定者は家族と弁護人以外は接見禁止だから、もし本当に植松氏に面会がしたいのであれば、彼と獄中結婚して家族になるくらいの覚悟が必要だ。もし、それがないのであればあきらめた方がよい、と最初にアドバイスした。

A子さんは即答はしなかった気がするが、後日電話があって、結婚も考えているという返事だった。彼女の家族が反対するのは明らかだから、そうであっても揺るがない覚悟があるのかどうか尋ねたところ、彼女の意思は固いということだった。実際、家族とは当然ながら対立し、彼女はその後、家を出ることになった。

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15歳の時の事件が大きなトラウマに
A子さんは、過去の事件のトラウマを抱え、時々記憶が飛んでしまうといった障害を発症し、治療も受け、障害者として医師の認定も受けている女性だった。

その過去の事件とは、彼女が15歳の高校生の時に性的暴行を受けたというものだ。そしてその相手は、本人の説明によると、事情があって入院していた病院で出会った知的障害のある男性だったという。

それまで性的体験もなかったA子さんは激しい衝撃を受け、当初は親にもそのことを話せなかった。そして数日後に打ち明けて警察が捜査に動き出したものの、相手の男性は否認、証拠不十分ということで立件できなかったのだという。彼女は、現場検証に立ち会うなど警察に協力したのだが、残念ながら事件にはならなかった。そして彼女の心に深い傷が残ったのだった。

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その性的暴行の件がきっかけでA子さんは記憶障害を発症して普通の生活ができなくなった。朝起きると記憶がなかったり、日常生活以外の大切な事を健忘したりするということがあり、何人かの医師に診てもらって記憶障害(解離性健忘)と診断された。ただし、日常生活においては問題はなく、周囲も彼女が障害者だと思っていない人が多い。

いずれにせよ自身のPTSDに対処するためにA子さんは治療を続けることになった。そういう過程で、あの津久井やまゆり園の事件が起きた。彼女の内面に複雑な思いが去来し、植松氏に興味を持つことになったらしい。

このA子さんが抱いた関心は複雑で屈折したものかもしれない。実際に彼女が植松氏にアプローチできたとしても、彼女の抱えたトラウマが克服されるのかどうかわからない。彼女は自殺未遂の経験もあるようで、自分の人生がそう長くはないという思いにとらわれてもいるようだ。

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彼女の話を聞いて思ったのは、果たして実際にどうなるかわからないが、これを機に彼女がトラウマ克服に少しでも近づけることを祈るしかないということだ。植松死刑囚は、執行がいずれなされることは避けられない。ただA子さんはこれから長い人生を生き抜いていくわけで、今回彼女が選んだ道が良い方向につながっていくことを祈るしかない。今回のことで心ない中傷を受けたりすることのないように、見守らなければならないと思う。

障害者殺傷事件についての考えを尋ねた時の彼女の答えはこうだった。

「相模原障害者施設殺傷事件は、このまま終わらせてはいけないです。同じことを繰り返すということではなく、このまま彼に執行があり、その時はまた世の中はニュースなどでその事件について思い出して考える人もいるでしょう。ですが、また忘れられていく。過去としてしまわれていく。それはどうにかしてでも阻止したいです。痛いほどその方法を考えています」

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【Yahoo!ニュース(篠田博之) 2024.10.8.】

獄中結婚したやまゆり園事件の植松聖死刑囚が激怒し「離婚」の語まで出た喧嘩のもととなった絵画とは…

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翼さんは油彩画が好きでかなりの点数を描いているのだが、前回書いたように、作品全体に「不安」が浮かび上がっている。それは恐らく、トラウマを抱えてきた彼女の内面を反映しているのだと思う。この絵が自画像というのもよくわからないが、興味深いのは、これを植松死刑囚が、自分が執行されるイメージと受け取って激怒したという話だ。

この絵を自身の死刑執行に結び付けるというのも飛躍のような気がするが、それよりも、そんなふうに結びつけて怒った彼の受け止め方が気になった。

死刑に対する恐怖や不安の心情を反映
この話でわかったのは、植松氏がやはり執行について不安を感じているということだ。死刑囚だから当然だし、日本における死刑執行は、当日の朝に突然告げられるから、死刑囚はその恐怖に怯えて毎日を過ごすことになる。その恐怖は恐らく当事者でなければ理解できないものだろう。植松氏はどちらかといえば、そういう不安をストレートに表に出さないタイプに思えるが、その反応について聞いた時には、やはりそうなのかと思った。

そして2020年3月、控訴を取り下げる際に彼もいろいろ思い悩んだ様子が窺えたことを思い出した。植松氏は、1審の死刑判決を見越して、裁判の法廷で、どんな判決が出ても控訴しませんと宣言した。取り下げには私を始め周囲の者が反対していたから、敢えて法廷で宣言することで退路を断ったのだろう。傍聴席でそれを聞いていて私は全身の力が抜ける思いがした。

その後、判決が出てからももちろん、控訴取り下げには反対し、何度も説得したのだが、植松氏はもう言ってしまったのだから実行しないと…と言っていた。ただ内心は思い悩んでいたようで、一方で「死にたくはないんです」と心情を吐露してもいた。

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やまゆり園事件から9年目に改めて議論を
さて翼さんは6月23日(月)夜、私と一緒にABEMA Primeに出演する。彼女がこんなふに顔出しするのは初めてなので恐らく大きな反響を呼ぶと思う。

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[追補]痴話喧嘩の後日談
この記事を公開した後、6月20日夕方、翼さんから連絡があった。同日、植松死刑囚に面会して、喧嘩の仲直りをしたそうだ。「離婚」云々については、口論の中で最初に口にしたのは翼さんで、植松氏はそれを受けて「じゃあそうしようか」と応酬したようだが、20日に確認すると、翼さんがそう言ったのでカッとなって言っただけと言っていたという。翼さん曰く「夫婦の痴話喧嘩です」。とりあえず収まったということらしい。

またその連絡の際、自分が誤解されないよう、下記の文章を公開してほしいとのことだった。『創』7月号に載せた文章だ。

《初めて私の意見で事件についてお話ししようと思います。

私は、彼の言う意思疎通のできない障害のある方は生きる価値があると思っています。

聖さんと出逢えて世間からは必要とされていない死刑囚でも私という存在に生きる意味を与えてくれたからです。

私は25歳を終えたら自死するつもりでした。

何故なら記憶障害を抱えたまま誰にも必要とされず生きる未来が想像できなかったからです。

ですが、聖さんという人に興味が湧き獄中結婚をして今思うのはどんな人でも誰かの生きていく勇気や意味を与えているということです。

私は彼の起こした事件に対して反対の意思を持っていますが、それでも彼を愛しています。

聖さんという人は真っ直ぐで優しくて心から気遣いができて、頭がきれる私にとっては理想の人でした。

起こした罪の重さに対しての刑の執行は何も言えなく、何もできなく私は無力です。

ただ妻として一生を背負って被害に遭われた方、遺族の方々に謝罪の気持ちを持ち生きていきたいと思います。

心から申し訳ありませんでした。そして、そんな彼を愛した私をお許しください。》

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【Yahoo!ニュース(篠田博之) 2025.6.19.】

出典:YouTube

社会に大きな衝撃と議論を湧きあがらせた「相模原障害者大量殺人事件」の植松死刑囚が結婚していたことに驚きの声!自殺を望んでいた翼さんは「聖さんと出逢えて世間からは必要とされていない死刑囚でも私という存在に生きる意味を与えてくれた」

これは驚いたわ。
すでに多くの人々の記憶から消えかかっていた「相模原障害者大量殺人事件」の植松聖死刑囚が、こんなにも素敵な女性と獄中結婚していたとはね。

安倍事件の山上被告に対しても、多くのシンパや信者が生まれているように、人というのは、自分の考えや価値観、そして境遇などが近い人同士が引き寄せ合っていくものだし、やはり植松死刑囚と獄中結婚した翼さんも、壮絶な悲しい過去と深い闇を抱えている女性のようだ。
まずは上の記事や動画を是非とも観てもらいたいけど、改めて彼女の境遇について触れておくと、翼さんは15歳の時に精神障害を持つ男からレイプされ、警察に被害を訴え出たものの、証拠不十分や相手が障害者であることなどを理由に逮捕もされず不起訴に
これを機に彼女自身がPTSDなどの精神障害を発症し、25歳を過ぎたら自殺するつもりだったとのこと。
しかし、植松死刑囚と交流を続けていた「創」編集長の篠田氏の存在を知り、彼を通じて植松死刑囚と婚姻関係を結び、毎日ガラス越しでの夫婦生活を送っているとのこと。
2人は絵を描くのがとても好きで、お互いに描いた絵を見せ合っているみたいだけど、植松死刑囚が描いた翼さんの絵は、とても綺麗で柔らかいタッチで描かれているのに対し、翼さんが描いた自画像や植松死刑囚の絵は、ぞっとするほどの闇深さとグロテスクさに満ちている

翼さん、表向きにはとても穏やかでかつ理知的、そして優して温かい雰囲気を持っているけど、その奥には誰もが入り込めないほどの深い闇と苦しみを持っていることがうかがえるわ。
そんな翼さんの人柄は、上のYahoo!ニュースの記事で記載されている彼女のメッセージからも読み取れるわ。

初めて私の意見で事件についてお話ししようと思います。

私は、彼の言う意思疎通のできない障害のある方は生きる価値があると思っています。

聖さんと出逢えて世間からは必要とされていない死刑囚でも私という存在に生きる意味を与えてくれたからです。

私は25歳を終えたら自死するつもりでした。

何故なら記憶障害を抱えたまま誰にも必要とされず生きる未来が想像できなかったからです。

ですが、聖さんという人に興味が湧き獄中結婚をして今思うのはどんな人でも誰かの生きていく勇気や意味を与えているということです。

私は彼の起こした事件に対して反対の意思を持っていますが、それでも彼を愛しています。

聖さんという人は真っ直ぐで優しくて心から気遣いができて、頭がきれる私にとっては理想の人でした。

起こした罪の重さに対しての刑の執行は何も言えなく、何もできなく私は無力です。

ただ妻として一生を背負って被害に遭われた方、遺族の方々に謝罪の気持ちを持ち生きていきたいと思います。

心から申し訳ありませんでした。そして、そんな彼を愛した私をお許しください。

【Yahoo!ニュース(篠田博之) 2025.6.19.】

植松死刑囚は、恐らく、言いようのない怒りや絶望感から自暴自棄になったことで、取り返しがつかない凶行に走ってしまった(一時は控訴はしないと公言していたものの、後になって再審請求を申し立てたことをみても、やってしまったことへの後悔や、死刑への恐怖・不安がうかがえる)のだろうけど、何とも皮肉なことに、あの事件を起こして死刑宣告されたことで、こんなに素敵な女性と出会い、今頃になって生きる意味や喜びを知ってしまったということだ。
翼さんが植松死刑囚との出会いと結婚生活を通じて、生きる希望を見出すことができたのなら、本当に良かったと思うし、こうした状況を通じてみえてくるのは、それまで「いい人」だった人でも、何かの出来事やトラウマなどをきっかけにして、突如凶悪殺人犯に変貌してしまう可能性が大いにあるということだ。

植松死刑囚も、元々は「いい人」だったからこそ、障害者施設で働こうと思ったのでしょうし、自らの職場での(理不尽な)体験を通じて、(元から過度に深く考えすぎる性格も相まって)おかしな思想を持つことに繋がっていったのではないかしら。

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植松は教員免許を取得して大学卒業後、当初目指していた教師にはならず運送会社に就職して11月までの半年間ほど従事した後[153]、2012年12月1日付で「津久井やまゆり園」に非常勤職員として採用され[5]、翌2013年4月1日から常勤職員として採用されると[11] 後述のように退職した2016年2月まで勤務していた[37]。

植松は2012年8月、施設を運営する社会福祉法人「かながわ共同会」の就職説明会に参加し、「明るく意欲があり、伸びしろがある」という判断で採用された[154]。働き始めた当初は知人らに対し「障害者はかわいい」「今の仕事は天職」などと話していた[155]。ある時植松は、風呂で発作を起こして溺れ死にそうになった利用者を助けたことがあった。この際に保護者からは一言も礼を言われず、植松は「『余計なことをしやがって』という雰囲気を感じた」という。この体験が犯行に至る思想が初めて芽生えたきっかけになったと事件後に片岡健の面会時に語っている[156]。

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【Wikipedia】

翼さんもまた人一倍生真面目で思慮深いからこそ、植松死刑囚に深い関心を持ち、ここまで行動を起こして彼と面会することを強く望んだのだろうし、確かに、篠田編集長が言っている通り、一般人が死刑囚と面会するには、婚姻関係を結ぶ(家族になる)他に方法がないというのは問題があるのではないかな。

改めて、この事件が抱えている多くの問題に目を向ける必要があると思うし、特に、日々障害者と接している介護職員の人権や待遇、職場環境の向上について、かなり真剣に考えていくべきではないかしら。

そして、犯罪者が犯行に至った心理や動機をもっと掘り下げ、深く分析していく(犯罪心理学の分野をより高めていく)ことも、多くの犯罪者を生み出さないためにも必要不可欠なことだろう。
翼さんの言葉は問題の本質をついている大切なものばかりだけど、中でも、
「聖さんと出逢えて世間からは必要とされていない死刑囚でも私という存在に生きる意味を与えてくれた」という翼さんの言葉は多くの示唆に富んでいる
(ちなみに、管理人は色々な意味で死刑制度に反対していることはこれまで述べてきた通りだ。)
植松死刑囚はいずれ死刑により死亡してしまうけど、翼さんは、この貴重でかけがえのない経験を通じて、少しでも前向きに生きていくことを願うばかりだ。

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